志事を顔晴る、これホント?

こんにちは。心理カウンセラーの佐藤城人と申します。

・仕事を志事
・頑張るを顔晴る
・お金を汚金
このような表記を見かけることがあります。

それぞれ、言わんとすることはわかります。
仕事は、仕えるだけでは辛くなります。志も必要でしょう。

頑張るときは、顔をにこやかにした方が良さそうです。

しかし、どこか違和感がありませんか?

どこか無理をしている。

それこそ、元々の表記を無理やり変えようと、頑張りすぎているように感じます。それよりも、言葉を言葉のまま受け止める方が自然ではないでしょうか?
「無為自然」中国の老子の思想の基本的考え方です。物事を「ありのまま、自然のまま」に捉える考え方で、約2500年前に唱えられました。

この観点で捉えるのならば
・仕事は仕事。志の高低や身の丈以上でも以下でもなく、無理せず取り組めばいい。
・頑張るのが辛いときは、顔を晴らすのではなく、休めばいい。リラックスすればいい。
・お金に清いも汚いもなく、ただその表記の価値にすぎない。
汚金ではなく、汗水流して働いた労働の対価と捉えるのならば、お金は御金と表記しても良いでしょう。お金をどのように捉えるのか、それはその人の心の在り方次第なんですね。100円は100円です。

それ以上でもそれ以下の価値でもありません。そして、仕事を志事、頑張るを顔張ると書き換える場合、その人の中には、仕事や頑張ることを、良くないこと、ないしは苦手と捉えていることが伺えます。だからこそ、他の漢字に変換したくなるのではないでしょうか?
このように私たちは、自分の心のフィルターを通して物事に意味づけをする傾向があります。「あの仕事は苦手」というとき、仕事そのものに、「苦手ラベル」が貼ってあるわけではありません。

 

「雨は嫌い」というとき、その雨を嫌っているのは誰なのでしょうか?雨は「ぼくのことを嫌っていいよ」とは、語っていません。

同様に、「あの人のやり方は汚い」と思うとき、そのように思うのは一体だれなのでしょうか?
ラベルを貼っているのは、あなた自身ではありませんか?
私たちが、「苦手・嫌い・汚い」と思うとき、その対象に元々そのような意味があるのではありません。私たちが意味づけをしているのです。そして、それをネガティブなものと感じると、冒頭の「志事・顔晴る」などのように、意味づけを変えることが起こります。そしてその多くは、無理やりポジティブシンキングに変えようとしてしまうのです。

自然ではないことに対面すると、私たちは違和感を持ちます。もし、仕事・頑張る・お金の表記に違和感があるのならば、無理やり変換をするのではなく、「物事には本来ポジティブもネガティブもなく、それを作り出しているのは、私たちの心の在り方」であることに目を向けた方が良いでしょう。なぜならば、元々意味が無い物に意味づけをするのが、人間の悪いクセだからです。

そして、物事を「無為自然」「ありのまま。自然のまま」に捉えることができるようになると、「苦手・嫌い・汚いなどの価値観を作り出すのは、自分自身である」ことに気づきます。

その結果、ネガティブな捉え方から解放され、日々の苦い出来事に心が左右されることがなくなっていくのです

「人間関係に疲れた」「苦手な人がいる」などのご相談、承ります。

心理カウンセラー 佐藤城人(しろと)